綱渡りをしているのか?ダメになりそうなラインと甘えにならないライン。自分でもよくわからない。人が怖い。特定の人だ。話しかけられたくない。話したくない。気持ちわるい。怖い。論文を書くために最低限でいい。考えたくない。でも考えなければ。ここでやめたら勿体ない、勿体ないよ、言い聞かせる。論文さえ進めば大丈夫だろう。それさえ進んでいれば目に映る私の気鬱が霞む。口を出されたくないのであれば、踏ん張らなければいけない、耐えなければいけない。大丈夫、やれると思う。負の気を纏ったモチベーション。見たくない、会いたくない、話したくないなら、自分の意思を徹したいならば文句を退ける実績を。ファイ。

朝早くに起きて一日働いて、寝て起きて働いての生活を続けられる気がしない。所謂まともな社会人生活というものが送れる気がしないのである。暇に任せて、いや本当は暇ではないと思うのであるが、まあとにかく考えてみたところ、日中から夜にかけて数時間働き、自分ひとりを養うだけのお金がもらえたらそれで生活は続けられるのではないかという結論に至っている。残りの人生で私がやるべきことは、親を看取ること、親戚筋に迷惑が掛からないよう相続を進めること、墓を仕舞うこと(=永代供養に出す)、などといったところか。もろもろの手続きについてはちまちまと調べを進めていって、親が死んだらつつがなくすべてを進められるようにしておこう。富や名声を求めるような人間でなくてよかった。最近またぐっと自分の核に迫っている気がする。自分の中の透明な尖りを壁の隙間から覗き見ている。

わからない

ラボに戻った。もちろん体調は万全ではない。私の中には3つ選択肢があった。一つはすぐに辞める、一つは学位取得まで残る、一つは論文だけ出して辞める。私は3つめの選択肢を選び、ラボに戻った。とにかくしんどい、なにがしんどいのかを言語化する必要はないと考えていて、というのもだましだましでいいから毎日を乗り越えて、論文さえ出せたらそれでよいと思っているからである。もちろん、周りの人に気を遣わせることは必定だが、それでももういい。迷惑かけてもいい、もう知らない。迷惑かけてでも論文を書くと決めたから。

先生がうっとおしい、話しかけてくると目が見れない、近づかれると気持ち悪くて早く逃げたくなる、来ないでほしい、こわい

説明を求められるとしんどい、説明をするのもしんどいと言うべきか、でもわかるそれではなにも進まない、向こうが求めていることはおそらく私の取り扱いを定めるために必要な情報、でも正直私もそれはわかっていない、もういや、大丈夫、大丈夫、がんばらなければいけない、怠惰と痛烈な拒絶感を区別できるようにならないと、頑張るべきなのか、撤退するべきなのか、わからなくなったらいったんリセットしよう、落ち着こう、沙都子、もういやにはなっている

いつまでも何もしないわけにはいかないので、Slackを開いて教員から来ているであろう連絡を確認しなければならない。やりたくない。見たくない。でもやらないといけない。うやむやにして終わるのは無理だし、そうはしたくない。

やりたくない。ああ。

ラボにいくのがつらくなって体調も悪くなり始めたので、一度実家に舞い戻った。足に力が入らず歩くのが面倒、食欲はない、風呂に入るのも億劫、となっていて、自分ひとりでの生活の限界がおそらく目前だった。とにかく最後の気力を振り絞って飛行機に乗った。

実家に戻って一か月が経った。この一か月はラボ関連の概念に触れないよう生活をした。向こうのことを思い出すと、正直かなりのストレスを感じる。人間に関係するストレスと思っているので、向こうに戻ってまた地に足をつけるのは正直かなり厳しい気がしている。

ただ、心残りがある。論文である。私はまだ学術論文を書いたことが無く、大学院生としての仕事を目に見える形にできていないことに焦燥感を覚えていた。今年度の成果をまとめれば論文にはなると思う。これを書いて、アクセプトされれば、はやく研究室を辞めたい。