広重くんの思い出は、しかし、数多くはない。あらかたは歳月に風化され、時の流れに押しやられてしまい、いくつかのシーンが、暗礁のように残るばかりだ。泡坂妻夫の短編に出てきた文章。メモ。

 

死にたい。消えてなくなりたい。何が嫌なんでしょうか。何もできていない、何物にもなれないであろう自分が嫌なのでしょうか、自分が何者かになれるとおもっているなんて笑ってしまいますね。いやこういう冷笑的な態度をもってして自身の浅ましさを否定するのではなく、そう、受容ですね、自分のありのままを受け入れる、認知する。ネガティブに歪めて自分を貶す行為を世では自慰とよぶ、それならせめて人に見られないようにしないと、人の前でそういう態度を出すと気を遣わせるからせめて。はっ、そうではなく、ありのままの自分を認知する、いや難しくないですか。私は今元気がない、何故かわからないけれど、トリガーになったのはいくつか前の研究室セミナーの日ですか。その日は調子が悪くていつもなら欠席していたけれど、前日指導教員から、最近欠席が多いようだから体調を整えてできれば出席するよう言われていたんです。だから、体調が悪くて休んでいる自分がなにか甘えた存在のように思えて、やろうと思えばできる自分を外の人に見せたくて、自分でもハードルを越えた経験をもって自信をつけたいという思惑によって、無理やり出席した。今思うとこれがよくなかった。会議室に向かう足も脱力しまくって、まともに歩けない。話しかけられてもまともに受け答えできない。セミナー開始前から涙が止まらなくて御手洗いに30分ほど籠り、結局途中退出。そこからメンタルがぐずぐずになってしまった。情けない。いやそういうことは今は言わないでください。なにかに甘えている自分が。いや今は言わないでください。事実を追うタイム。そこから何かぐるぐるとなってしまって現実逃避モードに入ってしまった。朝起きられないし、夜眠れないし、なにもかも面倒になってしまった。いつもどうやって平常に戻っていましたっけ。私こんなんで社会に出られるんですかね。わからない。どうすればいいのでしょうか。死んだら何も考えなくていいのに。生まれてきていなければなにもなかったのに。う~ん。

数年ならだましだましできるかな、これって治療してもらったらよくなるのかな?甘えなのかな。みんなちゃんとしているように見える。私だけぐずぐずやってるように見える。悲劇のヒロインぶってるわけではないと思いたい。全人類、同じように苦しんでいるんでしょうか。それで、その上で日々頑張っているんですか。それとも、こんなことで悩んでいる人と、そうでない人が存在しているんですか。わからない。人には人の悩みがある、それはわかる。それはわかる、それはわかる。誰かに助けてほしいけど、そのような都合のよい存在はいない。自分だけ、自分をよくできるのは自分だけ、結局他の誰にも救えない。私を掬い上げてくれる人間はいないと思って生きた方がよい、期待しない方がよい。ふー、はあ。自分がよくわからない、体系的に理解したい。精神の基盤が脆弱なのかしら。私って、どうしたらいいですか?

アルバイトの面接をお断りした。一か月ほど前、元気だった時に応募した客室清掃のアルバイト。学校にもきちんといけていない今、アルバイトを続けられるのかしら、面接当日になって疑問浮上。面接して、あるいはアルバイトを始めてから無理でした、ではあちらさんに迷惑をかけすぎる。ということで傷が一番浅そうな今、お断りの電話を入れさせてもらった。情けないよりも情けないことを表す言葉ってあるのでしょうか。

まあ仕方ないか、と思って自分を慰める。慰めのほか、できることなし。

先々週の金曜日から調子が悪い。人と話したり、何かを考えること、判断することが苦痛で仕方がない。体はまだ動くので実験はできるけど、人がいるから平日昼間のラボに行くのがしんどい。

何もせずずっと寝ていたいが、それをしてしまうと、あとで困ることもわかっている。中途半端に正気なのも鬱陶しい。本を読んで音楽を聴いて空を見て消えたい。消えたらなにも考えなくていい。消えたい。

どうしたらいいだろう。博士課程1年。将来のことも考えなければいけないらしいけど、もうそんなことどうでもいいという自分がいる。でも両親に負担をかけたくないから働かなければという自分もいる。できるだけ良い環境で働くために今を頑張らなければならないと、なにやらクルクルパー。助けてと苦しいと消えたいが無尽蔵に湧き出てくる。おかしいよね、永久機関なのかね。

消えたらなにもしなくていいし、考えなくていいし、苦しくなくなるし。

この苦しさを乗り越えられる人が強い人ってやつなのかしら。強くても弱くてもなんでもいいわ。もし必ず生まれ変わらなければならないのだとしたら、綺麗な花をつける植物がよいな。生きていて、必ず一回は美しい瞬間があるなんてすばらしいじゃあないですか。今の私にも、そんな瞬間があるのでしょうか。どうでもいい。

死ぬだけ、死ぬだけ、でも私が死んだら、私を大切に思ってくれている父と母が悲しみます。それだけは本当に嫌なんですよ。父と母に人生を楽しんでもらうためには、私自身が自立している必要があるのです。手のかからない子にならなければいけない。必要のない心配をかけたくない、目に映る最後の時まで私の幸せを願ってくれるだろう親ですからね。

良い両親のもとに生まれることができて本当によかった。居場所があるということのなんと素晴らしいことか。友達も恋人も、唯一無二の関係がなくたって、この愛情深い両親が存在することの幸運がある。友達や周りの人間関係にも、もちろんありがたい瞬間や、気づかされるとき、まぶしい時がある。でもどうしてもそれだけじゃない、マイナスの感情が生まれるときがありますよね。とかなんとか書こうと思ったけどめんどくさくなった。

どうなったら私は幸せだと思えるのでしょうか。はてなです。今は元気のない時期だからそう思うのだろうか。元気すぎる時期と普通の時期と元気のない時期と、すべての自分が同じ人間だと思えない。どれが本物なのかしらとおもうけど、結局どれも本物かよ、つまらん。楽しくなくてもなんでもいい、生きる目的が欲しいのか。そんなの考えなくても生きていけるときもあるのに。犬の動画を見てすること、自分と一緒に過ごしてくれる犬の妄想。一緒に寝てくれる、落ち込んでいたら顔を舐めてくれる、全力疾走爆走散歩、自分本位かしら、欲しい像を先に組み立ててしまうのはよくないわね。いつかワンちゃんと一緒に住みたい。朝も夜も散歩するよ、ごめんね。飼ってた犬を思い出した。謝りたいこといっぱいある、でも謝るのもズルいですかね、許してほしいわけではないんですよ、でも謝りたい。謝るという行為って面白いですよね、ゆるしが欲しいよりも自分の罪悪感を希釈するために口にするごめんなさいのなんと無駄なことか。はあ、考えるのって楽しいけど、疲れる。人と話すのって楽しいけど、疲れる。なにも考えずにしゃべることができるひとはいないかしら、イルカ。

最近ツイッターで見かけたことを試している、自分の中に小さな自分を作る、体育座りをしていて、何故か落ち込んでいる。自分なんだけれども、等身大のそれではないからか、その子には優しい言葉をかけられる。普段であれば自分に対して優しい言葉をかけるのって結構困難なんですけど、小さい自分、加えて暗いところでまるくなっているときたら、優しい言葉をかけるほかないでしょう。しかしこれ、結構体力を使うから、総頻繁にはできないのですよ。多少の元気と集中力の源があれば、慰められます。今話しかけてみますかね。どうしたのですか。何もたのしくない、ずっと暗いところにいたい。そうですか。会話終わりました。抱きしめてあげますかね後で。リンゴ剥いてあげますよ、リンゴ好きですからね私。

早く消えてなくなりたいですね。同じくらい、向日葵の未来も望んでます。でも消えてなくなるのには努力というのはいらないですがね、向日葵はそうはいかないですから。努力ってすごいですね、私はあまり続けられないんですよね、残念ですよ。生まれ持った気性なのか育てられ方なのか、周りの人に感謝する癖がついているのはいいことですね。そういえばあまり人を憎んだりせずにここまで生きてきました。ねたんだり、劣等感を感じることはしょっちゅうですがね。人が誉められていると、言われてもいないのに自分は貶されている心持になるのはなぜなんですかね。〇〇さんはすごいね、と他人が誉められているのをきくと、それに比べてaimosiは何をしている、無能、と変換されていますね。発言主がそんなことを言う人間だということではなく、自身の中で文章が捻じ曲げられて、気持ちのいい自傷行為をしてしまっていることが問題点です、でもどうしたらいいですか、もうこうやって自分が下の人間と思いこむ癖がついているんです。勝手に思い込むのはいいですが、人に迷惑をかけるのはやめたいと常日頃から思っています。

今日はどうしますかね、もう寝ますかね。

はい

最近意図的に眠ってしまうのは、現実逃避をしたいからだと気づいた。寝ていればなにも考えなくていいし、なにも見なくていい。こんなにありがたいことはない。しかし、生きている限りずっとこの生活を続けるというのは土台無理な話であって、いつかどこかでこの生活にも終止符を打たなければならない。それがいつになるかはわからない(明日から二度寝をせずにラボに行こうとは思っているが、それは決意や覚悟というほどの堅牢なものではない)けれども、自分のためにも自分のことをきちんと把握するか、あるいはどうするかを決めないといけない。それはわかっている。目を逸らしまくってもいつかは見なければいけない現実はそこかしこに横たわっている。消えるなら早くしたほうがいい(それまでに費やしてもらった時間やお金が勿体ないから)。

人の喋り声や匂い、光が気になって仕方ない。特に聴覚の部分でかなりのストレスを感じていると思う。その辺りの解決方法も考えながら、ぼちぼちやっていかなければいけないと思う。ストレス源が1つであれば結構簡素な問題だったと思うが、数年間放置し続けてきた問題なだけに、ストレス源やそれに対するリアクションを結びつけるのが難しく、複雑な構造になってしまっているように感じる。しかし、どうにかしなければ。自分のプライドの問題?もうよくわからない、いろいろ考えるのも結構億劫だし、それを強制(あるいは促される)されるのも多分に疲労がたまるものらしい。こんな人間が社会に出て、その会社の枠みたいなものに嵌まれるんだろうか。今日は外に出ていない。

結構

朝8時半くらいに一度目が覚めたけど、まだ寝ていたかったので二度寝をして、13時くらいに床を離れた。最近、午前中このパターンが多くて、振り返ってみると全部現実逃避のための二度寝をしているようだった。こういうのを寝逃げと呼称するらしくて、ひき逃げみたいだなと思った。軽度の寝逃げならストレス発散の方法として有効だけれども、これを続けるのはあまりよろしくないらしく、そうは言われても他に逃げる場所が無いやつは困る。逃げたって、問題を先延ばしにしているだけで、抜本的な解決はもちろんできていないのだが。それから1時間くらいボーッとして、まだ運動ができると思い縄跳びをしに近所の公園に行った。100円均一で買った縄跳びだが、少しだけ縄が短くて飛びにくかった。多少、腕を大仰に振って縄をまわし、休憩をはさみながら300回強飛んでみた。足の裏がつりそうになり、ふくらはぎがパンパンのフランスパンになった(クロワッサン派)。それから家に帰って、メソメソしてメソメソした。涙はなかなか枯れないもので、花は儚く美しく憧憬のかたちをしている。メソメソから立ち直りながら先生にかえしていなかったメッセージを返し、その波でついでにお風呂に行った。(この機会を逃すと、次はいつ波に呑まれるかわからないから。)ほんで、つべで落語の動画を見たり、音楽を聞いたり、ゲームの配信を見たりした。実は月曜日はセミナーの発表があるので、早くスライドを作らなければならない。どうしてもやる気が出ず、結構困る。頭が痛くなるし、気分が落ち込む。少し前までは研究が楽しくて仕方なかったし、プログレスの発表なんて先輩方や先生方の意見を頂戴できる貴重な場だと思っていたのに、今はとにかく人前で話すこと、みんなに見られること、発表後に意見や質問がでることが苦痛で仕方がない。まあとにかくやるしか無いのだが。はい今日はここで終わり。そういえば今日は月をみていないので、寝る前にでも見ておかなければ。

よくわからない気持ちになっている。気持ちというか、心の形?

どちらかというと攻撃的。何をしたいのかがよくわからない。本を読みたいわけでもないし、音楽を聞きたいわけでも、散歩をしたいわけでも、摂食をしたいわけでもなさそう。わからない。なにをしたらいいんだ。眠気はまったくない。なにか文章を書くことで気持ちの整理ができるかと思ったけど、それがかなっている気はしない。とりあえず勉強をしている、義務感で。いやもちろん楽しいです。

ついでなので最近の日記を書いておくか。

最近はまあ先生と話すことが多い。ランダムな数値の話をしたり、他人の行動をどう解釈するかという話をしたりした。正直後者のトピックに興味はなかったけど、先生がどういういきさつでそのようなことを考えるに至ったか、という点を聞けたのはよかった。先生は割と素直な人っぽい。私は人から褒められてもお世辞とか、本音ではないだろうと思ってしまうことが多いけど、先生の褒め言葉はなぜかピュアなものに聞こえてしまって、良い意味で困っている。こんな贅沢なことで悩むことができて嬉しい。大学院に入って、というかうちのラボを選んでよかったと今の所思うのは、先生のこういうところが好ましく思えるからである。もう何もかも嫌である。考えれば考えるほど嫌な気持ちになる。苦しいことが知覚できて、それが全く薄れてくれない。ずっと苦しいけど、考えるのをやめてしまうほうが嫌だ。人間は思考する葦なので。考えることは道徳の原理なので。

2021/08/03

悲しい80

 

体がうまく動かないけど実験の予定を話し合う必要があったのでラボに行った。行ってからちょっとして涙が出始めたのでトイレに避難。涙止まって研究室に戻る、またトイレに行く、の繰り返しで計2hくらいトイレにいたと思う。トイレから帰っている途中の廊下で先生に遭遇。先「大丈夫かい。調子悪そうだから帰っていいよ。」私「でも明日の実験の事を……モニョモニョ」先「実験のことは大丈夫、体のほうが大事だよ」私「……すみません。(申し訳無さと先生の親切さで泣きそうになり俯く)」 とのことで結局何もせず帰宅。家に入ってそのまま横になること数時間、涙も出なくなってきたので記録としてこの文章を書いている。精神が変なことに気づいてるのか気づいてないのかわからないけど、どちらにしろその親切が嬉しかった。